2008年12月30日火曜日

ケータイ小説的。

メディア論を読んだ後に、ケータイ小説的。を読む。我ながら、天才的な本のチョイスだと思ったw



ケータイ小説は、言うまでもなくケータイという極めてパーソナルなメディアの普及、そして『それを司る女神』すなわち浜崎あゆみという存在なくして成立しない。

『尾崎の一九八〇年代には反抗すべき敵として、権威や大人の社会が存在したのだが、一九九〇年代の末においては、敵は社会ではなく自分の内面であるという具合に変化したのである。』


また、ケータイ小説は、『ファスト風土的な郊外から生まれた新しい文化』であり、八〇年台以降の書店の郊外化を論じてきた小田光雄が指摘した『出版を通じて日本人が形成された』という主張に倣うなら、『夏目漱石は置かれていなくとも、ケータイ小説は大量に並んでいるような流通システムによって形成されたこれまでとは違う日本人』によるもの、とのこと。



ケータイ小説を読んだことがないので、ケータイ小説のことが全く理解できなかったが、この本を読んで、ケータイ小説的な状況については理解することが出来た。多くの書評でも高い評価が与えられているけど、本当に面白い本ですた。

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